霊能者 吉野真琴のブログ

父方は源氏・母方は平家それぞれの血を引く霊能者。神職や僧を多く排出した由緒正しい家系に生まれ、およそ30数年の修業を経て霊能者・スピリチュアルコンサルタントになる。神界・天界・霊界に通じ龍神界とも深い縁を持つ。コンサルタント歴10年。地元岡山県はもとより広島・大阪・京都に多数のクライアントを持つ。50代。
父方は源氏・母方は平家それぞれの血を引く霊能者。神職や僧を多く排出した由緒正しい家系に生まれ、およそ30数年の修業を経て霊能者・スピリチュアルコンサルタントになる。神界・天界・霊界に通じ龍神界とも深い縁を持つ。コンサルタント歴10年。地元岡山県はもとより広島・大阪・京都に多数のクライアントを持つ。50代。

吉野の軌跡1

私が生まれたのは1965年10月24日の13時半ごろ。
しかしながら記憶(前世)をさかのぼりますと
紀元前の海に沈んだ大陸の、小さな漁村からが始まりのようです。
今のインドネシア海のあたり、地学的に確認された
海に沈んだ大陸「スンダランド」がありました。

その辺りの小さな漁村に生まれました。
そこに産まれるまでの前世の記憶は残念ながら残っていませんが
温かい海に抱かれていた記憶が残っています。

それからアジアあたりを中心に100〜200年スパンで
転生を繰り返し、1965年10月24日に今世の生を受けたのです。

生まれた場所は吉備高原の中央辺り。
父親は源氏の流れをくむ京都からの移住者であろう血筋(未確定)
母親は広島の平家の隠れ里の血筋(確定)という
世にも珍しい因縁の家に生まれました。

赤子の私には、赤子だった頃のことを長じて覚えていたという
変わった幼少期でした。
赤子の頃乳母車に乗った私をあやしてくれる父母に対して
「親って大変だねー」という大人のような感想を持ったのを覚えています。

母に言わせると私赤子の頃から
疳の虫の強い子供だったらしく
エキセントリックで周囲を困らせていたそうです。

ところが。
そんな保育園時代のことはよく覚えているのですが
小学校に上がった頃から2年ほどの記憶が曖昧なのです。
周囲の人や当時の担任からは
ちょっと目を放した好きに何処かへ消えて
いつまでたっても戻ってこなくて心配させた、とお聞きしました。
あるときは誰も居ない学校のプールサイドで
一人遊びをしていたりというのですが
全く記憶に無いのです^^;
多分目に見えない者達が遊び相手だったのだろうと思います。

後年になって霊能者と呼ばれる人間の中には
そういう子供時代を送った人が多いらしいと知りました。

人というものは異質な存在は排除しようと反応するのが
普通の反応ですから子供の頃から変わっていた私は
当然のようにいじめられました。
そして家では、私が物心ついた頃より
父親は酒乱で母親は自己愛の強い人でしたので
子供の私たち(私には妹がひとりいます)に手は挙げないものの
夫婦間ではDV上等当たり前!な家庭でした。
小学校ではいじめられ家庭ではDVという、考えてみたら
人生ハードモードな環境でしたねえ。
当時は図書館の本だけが楽しみで
学校に通っていたようなものでした。

そんな中、後々40年来の付き合いになるMちゃんという
女の子と知り合いました。
Mちゃんの家も母子家庭で相当苦労していて、また
私と同じようにMちゃんもいじめの被害者でした。
私とMちゃんはいじめられっこ同士身を寄せ合うように
学生生活を送ったものです。

今でこそいじめを受ける側は霊的に見て
自分の持っている業(因縁)を減らすための試練と
解釈しているのですが当時は本当に辛かったです。

このMちゃんと私は当時流行っていた学研の「ムー」がきっかけで
見えない世界の虜になり、UFOと宇宙、心霊現象、謎の遺跡etc
どっぷりハマって夢中になって夢物語を語り合いました。

Mちゃんと私は2歳違いでしたのでMちゃんは高校を卒業と同時に
看護学校に進学、私は一人取り残され・・・めちゃくちゃ荒れまくりましたw

まず、朝起きて行ってきますと家を出てMちゃんの家に直行。
Mちゃんのお母さんも公認で、学校にいくMちゃんとお仕事に行く
Mちゃんのお母さん、そして住居に下校時間まで居座る私。
学校と家、居場所のない私の格好の隠れ家だったと思います。

そんなこんなの生活で高校は欠席日数が3年間で
180日(途中整形外科の病気入院も含む)に登りましたっけ。

さすがに高校の担任も訝しんで家に連絡されて
隠れ家生活は終了。その後遅ればせながらも
親に対する反抗&反撃が始まりました。
娘から親への家庭内暴力、です。

毎日がバトル、喧嘩上等で母親にはビシバシと殴られましたっけ^^;
そして親の金を盗んでは家出を繰り返して居ました。
最初の家出は奈良県の天理市。事情を聞かずに家に泊めてくださった
電車で知り合った加古川のお姉さん、飛び込んだ天理の施設の信者さんで
説得してくださって岡山まで送ってくれたおじさん。
今考えると時代も良かったのでしょうが、親切な方たちに
恵まれて有りがたかったと思います。

2回めの家出は京都。こちらは夏場で大変熱く
お金がないのでユースホステルに泊まったのですが
当時はクーラーもなかったため暑さマケしてギブアップ。
自分から家に連絡して岡山から京都まで親に迎えに来てもらいました。
最高にかっこわるい青春の一幕ですね^^;

そんなこんなで補修に補修を重ねて高校を無事卒業。
就職は寮のある会社を選びやっと実家と縁が切れたわけです。

続く。

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