吉野の軌跡3
「この体質から逃れられないのならせめて人様のお役に立ちたい」
そう決意してからの私は、懺悔と先祖供養への祈りと神仏様へのご挨拶に明け暮れました。
丁度親友のMちゃんが車で動ける時期でしたのでMちゃんと一緒に
思いつく限りのお互いの行きたい所・・・中国四国近畿の霊場や神社仏閣霊地を
何年か掛けて回らせていただきました。
中でも個人的にこの時期伊勢を出発としての元伊勢巡りを
させていただいたのが印象に残っています。
あちこち巡らせていただいているうちに
「今まで私は神仏混交修験道においては仏の勉強を重点的にさせられてきたなあ。今度は神様の勉強をさせていただきたいなあ」とぼんやりと思っておりました。
そしてある日、夢のなかで「かごめかごめ」という歌とともに図形を見せられたのです。
何のことかさっぱりとわからなかった私は月間ムーの文通広場(当時は個人情報もゆるい時期でしたので^^;)に問いかけとともにこの謎を解いてくださる方からの連絡を待ちました。
連絡をしてくださる方の中には手紙で、と断っているにもかかわらず出会い目的のふざけたおっさんが住所から電話番号を調べて電話をしてくることも有りました。
いただくお手紙の中には色々な情報を寄せてくださる方もいらっしゃいましたがピンと来ないなあという日々が続きました。
その中でとても丁寧で自分の考えを押し付けないお手紙が有りました。
そのお手紙の主に導かれるように、私はとある経綸神事を行っている団体にご縁が出来ました。
経綸神事とは、大本教の出口王仁三郎氏や日月神示が有名なのですが
大和政権に寄って隠された古の地球の元の神様が時により姿を変えて教派神道や新宗教の神として蘇り、ソレは連続性をもつ、という誠にSFのような怪奇小説のような漫画のような(?)世界のお話でした。
今現在の最先端の神様が神示と言う形で世にみことのりを降ろされる、という団体さんで私は神様の経綸ということを学ばせていただきました。
先の元伊勢巡りはこの団体につながっていたようです。
こちらで熱心に学ばせて頂いて2年位でしたでしょうか。
やはりこちらでも少し無理難題を押し付けられて自分の思う形とは違うんだな、とその団体を後にしました。
そして神と仏の両道を学ばせていただいた私は自己流の行を行わせていただくことになりました。
知らぬ間に磨かれてきた私は当時口コミで相談を受けていたのですが
忙しさに紛れ、又生きることに必死で仕事(当時は交通誘導の警備員を10年していました)してましたので持病の糖尿病が悪化したことに気が付かなかったのですね。
そしてとうとう私は倒れてしまいました。それが8年前です。
倒れ伏して仕事に行くことも出来ず追いつめられて悶々としながら私は
「ああ、もしやこれは人のお役に立つ時節が来たということなのか」と独り立ちする決意をしました。
そして地元出身の古代豪族楽々森彦に因んで「楽々乃森(ささのもり)」と言う屋号をつけたサイトを開設したのでした。
おかげさまで現在なんとかお仕事をさせていただいておりますが
持病の糖尿病の方は手遅れになってしまったので、現在人工透析を受けております。
しかしながら病身とはいえ色々な方に支えられ、神仏様から加護もいただき生き活かしていただいている。
このことに感謝の念は尽きると思います。
透析を始めてからも何度か命の危険もありました。
お腹に腫瘍ができて婦人科の手術もしました。
が、いずれも事後良好で腫瘍については良性で転移の心配もありません。
こんな私でも活かして頂いて人様のお役に少しでも使っていただける。
そのことに感謝しつつ今日も生かされております。
願わくば死ぬ間際まで神様に使っていただけますようにと吉野の軌跡を終わります。
完結まで読んでいただきありがとうございました。
吉野 拝
そう決意してからの私は、懺悔と先祖供養への祈りと神仏様へのご挨拶に明け暮れました。
丁度親友のMちゃんが車で動ける時期でしたのでMちゃんと一緒に
思いつく限りのお互いの行きたい所・・・中国四国近畿の霊場や神社仏閣霊地を
何年か掛けて回らせていただきました。
中でも個人的にこの時期伊勢を出発としての元伊勢巡りを
させていただいたのが印象に残っています。
あちこち巡らせていただいているうちに
「今まで私は神仏混交修験道においては仏の勉強を重点的にさせられてきたなあ。今度は神様の勉強をさせていただきたいなあ」とぼんやりと思っておりました。
そしてある日、夢のなかで「かごめかごめ」という歌とともに図形を見せられたのです。
何のことかさっぱりとわからなかった私は月間ムーの文通広場(当時は個人情報もゆるい時期でしたので^^;)に問いかけとともにこの謎を解いてくださる方からの連絡を待ちました。
連絡をしてくださる方の中には手紙で、と断っているにもかかわらず出会い目的のふざけたおっさんが住所から電話番号を調べて電話をしてくることも有りました。
いただくお手紙の中には色々な情報を寄せてくださる方もいらっしゃいましたがピンと来ないなあという日々が続きました。
その中でとても丁寧で自分の考えを押し付けないお手紙が有りました。
そのお手紙の主に導かれるように、私はとある経綸神事を行っている団体にご縁が出来ました。
経綸神事とは、大本教の出口王仁三郎氏や日月神示が有名なのですが
大和政権に寄って隠された古の地球の元の神様が時により姿を変えて教派神道や新宗教の神として蘇り、ソレは連続性をもつ、という誠にSFのような怪奇小説のような漫画のような(?)世界のお話でした。
今現在の最先端の神様が神示と言う形で世にみことのりを降ろされる、という団体さんで私は神様の経綸ということを学ばせていただきました。
先の元伊勢巡りはこの団体につながっていたようです。
こちらで熱心に学ばせて頂いて2年位でしたでしょうか。
やはりこちらでも少し無理難題を押し付けられて自分の思う形とは違うんだな、とその団体を後にしました。
そして神と仏の両道を学ばせていただいた私は自己流の行を行わせていただくことになりました。
知らぬ間に磨かれてきた私は当時口コミで相談を受けていたのですが
忙しさに紛れ、又生きることに必死で仕事(当時は交通誘導の警備員を10年していました)してましたので持病の糖尿病が悪化したことに気が付かなかったのですね。
そしてとうとう私は倒れてしまいました。それが8年前です。
倒れ伏して仕事に行くことも出来ず追いつめられて悶々としながら私は
「ああ、もしやこれは人のお役に立つ時節が来たということなのか」と独り立ちする決意をしました。
そして地元出身の古代豪族楽々森彦に因んで「楽々乃森(ささのもり)」と言う屋号をつけたサイトを開設したのでした。
おかげさまで現在なんとかお仕事をさせていただいておりますが
持病の糖尿病の方は手遅れになってしまったので、現在人工透析を受けております。
しかしながら病身とはいえ色々な方に支えられ、神仏様から加護もいただき生き活かしていただいている。
このことに感謝の念は尽きると思います。
透析を始めてからも何度か命の危険もありました。
お腹に腫瘍ができて婦人科の手術もしました。
が、いずれも事後良好で腫瘍については良性で転移の心配もありません。
こんな私でも活かして頂いて人様のお役に少しでも使っていただける。
そのことに感謝しつつ今日も生かされております。
願わくば死ぬ間際まで神様に使っていただけますようにと吉野の軌跡を終わります。
完結まで読んでいただきありがとうございました。
吉野 拝
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