霊能者 吉野真琴のブログ

父方は源氏・母方は平家それぞれの血を引く霊能者。神職や僧を多く排出した由緒正しい家系に生まれ、およそ30数年の修業を経て霊能者・スピリチュアルコンサルタントになる。神界・天界・霊界に通じ龍神界とも深い縁を持つ。コンサルタント歴10年。地元岡山県はもとより広島・大阪・京都に多数のクライアントを持つ。50代。
父方は源氏・母方は平家それぞれの血を引く霊能者。神職や僧を多く排出した由緒正しい家系に生まれ、およそ30数年の修業を経て霊能者・スピリチュアルコンサルタントになる。神界・天界・霊界に通じ龍神界とも深い縁を持つ。コンサルタント歴10年。地元岡山県はもとより広島・大阪・京都に多数のクライアントを持つ。50代。

地獄極楽の話

拝み屋さん(最近の首都圏ではこれでは通じないそうな)霊能者の元で修行中の20歳過ぎの、寄りましとして「使われていた」頃。

師事する霊能者のイメージ通りの地獄極楽ツアーを良く視さされました。

地獄には血の池ツアー有り針山ツアー有り灼熱ツアー有り極寒、水攻めツアー有り。
極楽は文字通り光の世界で、其処に至る「螺旋の通路」を上昇する気分のなんて素敵なことだったか。

しかし、師事している霊能者の思惑から段々離れて霊能者のイメージの外、光の国は上に上にと底なし?っていうか、行けども行けどもきりがなくどんどん続いて居るんですけれど肉体を持ったままだとそれ以上上がれない(当時ね)様な所まで来ました。

・・・・と、告げ始めた頃から段々と師事霊能者から
「そんなところはない!私が視たことがないんだから有るはずがない!」
「極楽の上など有ってはならん!そんな物が見えるのは慢心だからだ!」
「ウチの神さまに見えるようにしていただいたのに造反だ!」
っと身に覚えのないそしりを受けることになり放逐されましたっけね^^;
(まあ他にも色々と師事する霊能者の範疇から外れた物まで見え始めていた訳なんですが)
ちなみに何か見える、と言うのは子供の頃から有ったことで、それのコントロールを身につけるためにこっちの世界に足を踏み入れたのがそもそもの始まりでした^^;


私にもなんで見えるのかそういうところが本当に有るからなのか慢心だからなのか分からず打ちひしがれて、当時流行の「マインドコントロール」状態(芸能人の父が同じく芸能人の娘を脱会さえるのに成功した、っという話が連日TVのワイドショーで取り上げられていた時期でした)から抜け出すのに自分を責めに責め抜いた時期でした。

それから一時はそっちの世界から足を洗おう!見て見ぬ振りをして
「私、普通のおばさんになります!」
宣言をした物の、「あること」をきっかけに都はるみねーさんと同じく結局離れられないと悟った私。

独自の行・・・・ット呼べるかどうか分かりませんがw
好き勝手あちこち巡り歩いて、あっちの世界をこの世の出来事に照らし合わせて段々とそっちの考え方に折り合いを付け始めた30代の頃

有る意味、地獄極楽はこの世にある(この世はあの世の投影である)

っと言う考え方がでてきました。

しかしながら「故人の段階を視る」という作業中、何故か谷と山というイメージで教えられ、視るべき人以外周りに居るのでしょうがその対象以外視えない現象にたびたび出くわしました。

それが例え谷底の底であろうが、山のてっぺんであろうがその人の周りには
「誰か他人が居ても双方向で見えない、見えてない」感じでした。

例えるなら6畳の部屋にぎゅうぎゅうの寿司ずめであってもひとりひとりが
「何もない誰もいないがらんとした6畳だな」と感じて居るみたいな。

しかしながらこれは「その故人飲みに焦点を絞って」視ているためかもしれません。
意識して大量の不特定多数をまとめて視た事がないので私が分からないだけかも知れません。

しかしある時、故人同士双方向認識でなおかつきゃわきゃわと賑やかにしかして水を打ったように静かな、喜びに満ちた所に出くわしました。

それはどこかと言いますと・・・。

「もうすぐだね」
「うん、もうすぐだね」
「早く船が来ないかな?」
「前に居る子が行かないと次の船が来ないよ」

光溢れ優しいそよ風が吹く暖かい場所。
そこには後ろ一列で数珠繋ぎになって
自分の番を待つ魂が沢山居ました。

光溢れるそこは、生まれ変わる為の船を待つ場所でした。

船に乗って生まれ変わる、ット言うのはどちらかというと
それを視た人のイメージに寄りけりなんだと思います。
・・と、言うことは私も平均的な日本人なのでしょうね〜^^;

そう、イメージ。
このイメージと言う物に人は生きていても
死んでいても結構引きずられるようですよ。

前の記事で
「有る意味、地獄極楽はこの世にある(この世はあの世の投影である)」
と書きました。
と、言うことはその反対もしかりなのではないでしょうか。

故人の中にはこの世で生きていたときの物の考え方や宗教観に
引きずられている方が多いようです。
そしてそれらは生きてこられていた時間、時期も大いに関連性があると私は思います。

地獄がある、私はこんな事をしていては地獄に堕ちる
・・・と信じている方はそのイメージに縛られて谷底の下の下に大きな荷物を抱えてうずくまっています。

私は神さまを信じているので天国に行くと信じている方もそれなりの所に居たりします。

私は極楽浄土を信じているので極楽に行くと信じてる方もそれなりの所にいたりします。

そして私は何も信じない、死んだら人間そこで終わりだと思ってる方は
山の遠くに立っているか、とっくのとーに気が付かないまま山の頂上に居たりします。

その人それぞれにとって
「自分がココにいるのは当たり前」
の場所なのですが
それぞれ生きていたときに解決できなかった問題や
悩みこだわりは、どなた様にも
「おみやげ」
もしくは
「いやげもの」
として抱えてあの世に戻るのです。

超超個人的な話で恐縮ですが、「悪人正機」を説いた
法然・親鸞両上人は素晴らしいと今更のように思っております。

スタート地点はバラバラであるけれど、
抱えているハンデが人それぞれ違うのだと思います。

要は荷物の重さの問題。

100年前に亡くなった80代の方がまだ
山麓を荷物を抱えてえっちらおっちら登って行ってます。
10年前に亡くなった2歳の方が、
光の港で船を待っています。

人はこの世に生まれてきて様々な事を学ぶために
色々な形の荷物を持たされます。
その与えられた荷物を有るべき所にあるべきように、
と、整理整頓する事で魂の成長が得られるのではないでしょうか。

みせていただいた風景から察するに、当然与えられるべき荷物を与えられず、
短い生涯を送られた魂はリセットされて転生するのも早いように思います。

山を登る途中の人たちは様々な整理整頓出来ずに余った荷物をその身に抱えて登っています。

生まれ変わる為の港にいる人たちは皆手ぶらです。
生まれ変わる為には余った荷物をあの世でも整理整頓
しなくてはいけないようです。

ずいぶんと「地獄極楽(天国)の話」からずれてしまいましたが、
これは私の体験で得た考え方であります。

このお題を私に与えて下さった方が仰るとおり
「地獄と天国は場所は同じで助け合うかどうかが違う」ということももちろん有るでしょうし
私が故人単体でしか感じられないかった視られなかったというのも
「その故人のみに焦点を絞って」視ているためかもしれません。

大体がこの世では多くの家族や友人や親戚顔見知りが居るというのに
あの世に旅立ってからはひとりぼっちでだーれも身の回りに感じられないと言うのは寂しいですよね^^;

ココは私も「生きても死んだ後でも暮らしは全く変わらない」丹波哲朗説を信じたいな、と言いつつ今回の筆を置きたいと思います。

長々と読んで下さって有り難うございました。

name
email
url
comment

NEW ENTRIES
供養が足りていないとはどういうことなのか?(02.24)
大難は小難 小難は難なく(02.24)
神社仏閣 月参りのススメ(02.24)
純水には植物も魚も住めない(エンパス体質の方へ)(02.24)
(untitled)(02.24)
鑑定例「龍神降ろしにより仕事で昇格ました」(02.24)
しゃっきりばあちゃん(02.24)
龍神の魂入〜龍の嘆きと悲しみ〜(02.24)
病気治しについて(11.03)
龍神の魂入れ(11.03)
RECENT COMMENTS
ARCHIVES
RSS
RSS