お寺のお話
さて本日は日本の仏教・お寺のお話です。
言うまでもなく元々日本は神まつりの国だったのですが、約千年前、インドから大陸を経て渡ってきた仏教というものが日本に入ってきました。
元々インドの仏教には供養という概念はなく、日本の神道と結びついて千年かけて今のようなお葬式や年忌・供養の概念ができました。
もちろん今の神道でも神道葬・年忌はあるのですが、私達の意識の上でいつの間にか「神社は晴れやかな場所」「お寺はしめやかな場所」というように分けて考えられるようになったのです。
千年もの長い間、江戸時代からは寺社の区別や寺の檀家制度等によって、今の私達に近いご先祖さまは圧倒的に仏式でのお葬式やお墓・年忌供養が多いのではないでしょうか。
ところで、この図のように人間というものは大体前世と血肉の血の流れ(ご先祖)の2つの車輪で前に進んでいきます。
なので、スピツアーでは神社とともに仏閣・お寺へご先祖さまとともにお出かけして、仏様からの光をご先祖様に受けていただきます。
特に供養が必要なご先祖様がいなくても、ご先祖様に光を受けていただくことでご先祖様に喜んで頂いて、子孫である私達の人生を豊かなものにしていただけるのです。
(喜んでいただけるに関しては、日々のお仏壇やお墓に手を合わせてお世話をすることも同じです)
不幸な亡くなり方や亡くなられてもなお強い思いにとらわれて成仏できないご先祖様や霊もいますので、そういう方たちを持っておられる方は尚の事お寺参りをされると良いでしょう。
昔から神様というのは目に見えず、招きによって降りてこられる尊いものとされてきました。
が、仏様というのは目の前の仏像(形)に宿っていると言われ、目に見えて触ることが出来るものです。
いつの間にか人の観念上神様は真っ直ぐな清らかな心を好まれるとされてきました。
その分、仏様は日々の心の動きや病気の苦しい思い、辛い悲しいなど、身近な思いを懺悔したり願いをお伝えやすい対象なのではないでしょうか。
日本人にとって神社仏閣というのはセットなんですね^^
吉野 拝
言うまでもなく元々日本は神まつりの国だったのですが、約千年前、インドから大陸を経て渡ってきた仏教というものが日本に入ってきました。
元々インドの仏教には供養という概念はなく、日本の神道と結びついて千年かけて今のようなお葬式や年忌・供養の概念ができました。
もちろん今の神道でも神道葬・年忌はあるのですが、私達の意識の上でいつの間にか「神社は晴れやかな場所」「お寺はしめやかな場所」というように分けて考えられるようになったのです。
千年もの長い間、江戸時代からは寺社の区別や寺の檀家制度等によって、今の私達に近いご先祖さまは圧倒的に仏式でのお葬式やお墓・年忌供養が多いのではないでしょうか。
ところで、この図のように人間というものは大体前世と血肉の血の流れ(ご先祖)の2つの車輪で前に進んでいきます。
なので、スピツアーでは神社とともに仏閣・お寺へご先祖さまとともにお出かけして、仏様からの光をご先祖様に受けていただきます。
特に供養が必要なご先祖様がいなくても、ご先祖様に光を受けていただくことでご先祖様に喜んで頂いて、子孫である私達の人生を豊かなものにしていただけるのです。
(喜んでいただけるに関しては、日々のお仏壇やお墓に手を合わせてお世話をすることも同じです)
不幸な亡くなり方や亡くなられてもなお強い思いにとらわれて成仏できないご先祖様や霊もいますので、そういう方たちを持っておられる方は尚の事お寺参りをされると良いでしょう。
昔から神様というのは目に見えず、招きによって降りてこられる尊いものとされてきました。
が、仏様というのは目の前の仏像(形)に宿っていると言われ、目に見えて触ることが出来るものです。
いつの間にか人の観念上神様は真っ直ぐな清らかな心を好まれるとされてきました。
その分、仏様は日々の心の動きや病気の苦しい思い、辛い悲しいなど、身近な思いを懺悔したり願いをお伝えやすい対象なのではないでしょうか。
日本人にとって神社仏閣というのはセットなんですね^^
吉野 拝
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